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少し早い目の春霞(PM2.5?)。
京都の春間近!東山から北山へ〜
寺院と神社と旧村を一人でブラリ〜
水源地・信仰と五山の送り火の山・御土居に力石…
京都の原風景を想いながら〜

上賀茂(明神川) 15

ミニランちゃんと、ソロポタなんですが〜
UFO先生の大学時代。
先生の足跡を探して…

※マウスポインターを置いてください。 
                                           撮影:平成28年03月05日
                                           UP日:平成28年03月15日
                                           

綺麗な屋門

※竹タイル家屋門
前に

屋敷森のように〜

※上賀茂郵便局横目に〜

藤木社とクスノキ
明神川が南へ折れ曲がる三差路に、朱色の垣とクスノキの大樹に守られる、一間社流造の祠が建つ。
上賀茂神社の末社の一つで、瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)を祀る。
樹齢500年といわれるクスノキは、2007年(平成19年)に京都市により「保存樹」と認定された。
(Wikipediaより)




藤木社
祭神:瀬織津姫神
明神川の守護神として祭られ賀茂別雷神社(上賀茂神社)の末社。


※明治期から有った道路

石畳も川沿いを〜

※下流方向も良い景色が〜


脇の御家は
楠荘

樹齢500年



カラコロ〜
下駄の音が合うでしょうね。

※My橋が社家の証

梅が似合います。

※水の取り入れ
水との関わり〜

町家を改装して
食堂に〜

※北側には神山

石製の橋にも
草生して〜

※有名処

腰下に弁柄土蔵

※絵になりますね〜

水の取り入れ口と

※排出口
自然の流れ利用して〜

石橋綺麗に〜



168.5mの神山の向こうは
ゴルフ場が有るんですと。
神域に何故と思って調べると…
終戦を境に、日本全土はアメリカ合衆国を中心とした連合国の占領下に置かれ、
西日本全部を管轄する第一軍団本部が京都に置かれていた。
その連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)軍政部から、
「軍人のレクリエーションに」京都市内にゴルフ場を建設する案が出た。
計画は1946年(昭和21年)8月、第一軍団軍政官少佐ハロルド・シェフィールドを先頭に進められ、
赤星四郎設計、鹿島組施工による総工費2億7千万円という大プロジェクトとなった。
計画地は「池が二つあり原始林にかこまれ場所も非常にいいし街から近い」と京都大学演習林と
上賀茂神社の8万5千坪の境内林に決定。
シェフィールドは、「聖地、神域に、外国人の息のかかったゴルフ場を造るとはけしからん」と
必死に抵抗する神社関係者を抑えて、9月23日に実測を行い、
即座に伐採を始めて、11月15日には起工式を執り行った。
しかし、膨大な費用がネックとなって、GHQ総司令官ダグラス・マッカーサーから12月7日に中止命令が下る。
さらに、神社関係者からの「京都の軍政官と日本の官憲は、宗教の自由を圧迫してゴルフ場を造ろうとしている」
とのGHQへの直訴を受けて、一連の建設関係者が査問されることとなった。
日本語の堪能なシェフィールドが、神道や仏教を学んで、神事や社家の行事に出席しながら
「宗教圧迫などの事実はない」と再三にわたり神社関係者への説得にあたって了解を取り付けた。
同時に、「ゴルフ場が京都の将来の観光資源になる」と期待する京都府知事の木村惇が、
日本側の首脳責任者としてGHQへの矢面に立つとともに、代替地を用意。
また、数々のゴルフ場を手がけた安達貞市(後に当倶楽部理事長に就任)が、
木村を通じてシェフィールドに会ってコース施工を引き受け、
観光日本株式会社監査役の久保田粂吉が現場責任者として着任した。
安達が米軍から重機、技術者提供を受け、かつ京都市からも土地権利者との交渉で後押しを受けたことで、
当初計画の10分の1である3千万円に抑えることに成功した。こうした官民のチームワークにより査問を切り抜け、
中止命令をも撤回させて、契約が締結される運びとなった。
1948年(昭和23年)7月に6ホール、10月に9ホール、翌年3月には18ホールが造られ、
日本で戦後最初の新築ゴルフコースが京都の地に完成した。
1950年(昭和25年)朝鮮戦争により、プレーヤーは米軍兵士から西陣界隈の経営者に入れ替わる。
戦争特需で会員数が急増、このために1958年(昭和33年)に西コース(現・舟山コース)が新たに着工され、
1962年(昭和37年)に完成した。




綺麗な社家の玄関

料理屋さんの看板

※水との関わり〜

上賀茂神社の境内地が見えてきました。



食事処が〜


 



社家の町並み
石垣を積み、土塀で囲った社家の歴史的な旧家が連なる。
明神川に架かる小橋、瓦葺きの門や土塀越しに見える樹木が、歴史的景観を生み出している。
1988年(昭和63年)に「重要伝統的建造物群保存地区」および「上賀茂郷界わい景観整備地区」に
指定されている。
また、美しい町並みを維持するため、京都市により電線類の地中化が進められている。
数寄屋造りの西村家別邸(錦部(にしごり)家旧宅)では、旧宅の一部と庭園(西村家庭園)が公開され、
社家の内部を窺い知ることができる。「明神川から邸内に流れを呼び込み、庭園内の小川や池を経由して、
再び川に流れゆく」という、いわば川と庭園を一体化させた工夫が見られる。
庭園の奥には、神山(こうやま、上賀茂神社祭神・賀茂別雷命が降臨した山)の降臨石をかたどった
石組みも配置され、上賀茂の社家ならではの庭園を楽しむことができる。
1986年(昭和61年)に、京都市指定名勝として指定された。


※上賀茂社の石橋
東日本大震災は6年目に…台風・豪雨水害被害で被災された方々に、
お見舞い申し上げます。阪神大震災も21年…
世界の人々が平和に暮らせますように〜
今年こそエエ年に!

マー君、お江戸へ長期貸出中。
えっ?皆様方
お休み〜残念!
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